鎌倉幕府成立は、1192年? 1185年? 

みなさんは『いい国つくろう鎌倉幕府』というゴロ合わせを聞いたことはありますか? これは、少し前までは日本全国で当たり前のように教えられていたもので、学校や塾の先生は「源頼朝が1192年に征夷大将軍となって鎌倉幕府を開いた」と、このゴロ合わせとともに教えるのが慣習になっていました。もちろん、教科書にも、鎌倉幕府が開かれ鎌倉時代が始まったのは『1192年』だと記されていました。

しかし、現在の歴史の教科書では、鎌倉幕府成立は『1185年』とされています。これは、歴史学者たちの議論の中で、鎌倉幕府成立は1185年という説のほうが有力になったからです。1185年には、源頼朝は当時の後白河法皇の許しを得て全国に守護・地頭を設置しました。これにより源頼朝が全国の支配権を得たので、幕府成立もこの時と考える歴史学者の方が現在は多くなっているのです。

そうした流れをふまえて、歴史の教科書も書きかえられました。先生たちも、今は『いい箱つくろう鎌倉幕府』と教えるようになっています。

 

『日本最古のお金』を変えた新発見

今度は、新発見が歴史教科書を変えたという例を紹介します。

2000年ごろまでは、『日本最古のお金』として教科書に紹介されていたのは、708年につくられた和同開珎でした。しかし、1999年に奈良県の飛鳥池遺跡から、富本銭という銅銭が33枚も発見され、人々を驚かせました。富本銭は古文書などにその名前があり、1999年以前にも数枚が発見されていたものの、和同開珎より古い時代のものとは認められていませんでした。ところが、富本銭が大量に見つかった地層からは、700年よりも前のものと考えられる遺物が発見されたのです。このため、富本銭は和同開珎より古く、日本最古のお金だという説が広く受け入れられるようになり、教科書の記述も変わることになりました。

 

大幅に『後退』した旧石器時代

一方で、研究が『後退』してしまった残念な例もあります。

かつて、旧石器時代の中でも前期・中期とよばれる古い時期の遺跡が日本にはたくさんあり、日本列島には何十万年も前から人が住んでいたとされ、高校の日本史教科書には各地の遺跡の名前が書かれていました。

しかし、2000年になって、それらの遺跡は一人の考古学者による『ねつ造』であったことが発覚しました。この事件は日本の考古学史を揺るがすスキャンダルとなり、日本列島には前期・中期旧石器時代の遺跡があるという学説が崩れてしまいました。現在は、日本列島に人がいたと確実視される後期旧石器時代の岩宿遺跡を除けば、教科書には旧石器時代の記述がほとんどない状態になっています。

 

歴史教科書は時代とともに書きかえられる!

このように、確認できている歴史認識は不変ではありません。学者たちの研究や、世の中の流れ次第でどんどん変わっていくのです。そのため、教科書やテキストもそれに従って書きかえられます。歴史の勉強をするときは、できるだけ新しい教科書、新しいテキストにそって勉強するように気をつけましょう。