試験や文章で使われる『三国志』由来の故事成語

前回に引き続き、今回も『三国志』に由来する故事成語をご紹介していきます。いずれも、試験に出題されたり、文章の中でよく使われたりするものばかりです。ぜひ、故事成語だけでなく意味や元になったエピソードも覚えてください!

 

・苦肉(くにく)の策

映画『レッドクリフ』でも有名な赤壁の戦いでのエピソードに由来する故事成語で、『苦肉の計』ともいわれます。

 

三国の一つ、呉(ご)の武将・黄蓋(こうがい)は、軍議の中で呉軍を率いる周瑜(しゅうゆ)と言い争いになり、怒った周瑜にむちで打たれます。黄蓋の体は傷だらけになりました。そして、黄蓋は敵である曹操(そうそう)軍に対し降伏を申し出ます。このとき呉軍には曹操軍のスパイがいて、黄蓋がむち打たれる様子を見ていたので、曹操軍は黄蓋の降伏を信じました。

 

しかしこれは周瑜と黄蓋との計略で、黄蓋はわざとむち打たれることで降伏の申し出を信用させたのです。その後、黄蓋は自分が率いる船団を連れて降伏するといつわり、燃えやすいわらを大量に乗せた船で曹操軍に接近した上で船に火を放ち、曹操軍を大混乱におとしいれました。

 

このことから、「苦肉の策」は「敵をだますため、また、窮地を逃れるため、自分の身を犠牲にして立てる策略」(学研『故事ことわざ辞典』)という意味で用いられるようになり、現在では「考えあぐね、苦労した末の策」(広辞苑)として使われています。

 

・白眉(はくび)

三国の一つ、蜀(しょく)に仕えた馬良(ばりょう)にまつわる故事成語です。馬良は五人兄弟で、いずれも優秀な人物との評判でしたが、中でも馬良がもっとも優れているといわれていました。その馬良の眉に白い毛が混じっていたので、『同類の中でもっとも優れている人や物』のことを『白眉』と呼ぶようになったそうです。

 

・泣いて馬謖(ばしょく)を斬る

馬謖は馬良の弟で、兄と同じく蜀に仕えていました。軍事面に才能があり、蜀の軍師・諸葛亮(しょかつりょう)の片腕として功績を挙げましたが、魏(ぎ)との戦いで「街道沿いに陣を敷くように」との諸葛亮の命令に反して山の上に陣を敷いたために大敗し、敗戦の責任を取る形で処刑されてしまいました。諸葛亮は馬謖の才能を惜しんで涙を流しつつも、軍規を破ったことを許すわけにもいかず、馬謖を処刑せざるを得ませんでした。

 

この話から、『命令や規律を保つためには、愛する物を仕方なく処分する』といった場合に『泣いて馬謖を斬る』というようになりました。

 

・読書百遍(ひゃっぺん)義自(おのずか)ら見(あらわ)る

三国の一つ、魏の学者・董遇(とうぐう)は、常に書物を持ち歩く読書家でした。後に魏の重臣となりますが、彼をしたって弟子入りを志願する者に対し、董遇は「読書百遍義自ら見る」、すなわち「まずは教わる前に書物を百遍繰り返し読みなさい。同じ書物を百遍読むと、その書物で説かれている内容(義)は自然とわかるものだ」と答えて断りました。

 

現代では、一冊の本をじっくり読むことの重要性を説く際に用いられます。

 

意味を理解し、実際に使って差をつける!

他にも「白眼視」「死せる孔明、生ける仲達(ちゅうたつ)を走らす」など、『三国志』から生まれた故事成語は数多くあります。意味を調べて理解し、そして実際に会話や作文などで使って、周囲の同年代の人たちに差をつけましょう!