受験生の信仰を集める『学問の神様』菅原道真はなぜ神様になったのか?
受験生に人気の『天神様』受験が近づくと、『神頼み』をする人が増えます。すでに神社に参拝してお守りを買ってきた、という人もいるでしょう。日本には本当にいくつもの神が存在します。それぞれ異なるご利益があるとされていますが、受験の合格祈願など、勉強に関するご利益を求める人に人気なのは『天神様』。実は、これは歴史上の人物『菅原道真』が死後に神とあがめられるようになったものです。道真の人生を通して、その理由を探っていきましょう。 菅原道真の一生菅原道真は、平安時代前期に活躍した人物です。菅原家はもともと学者の家系でしたが、道真は特に学問の才能に優れ、5歳で和歌を詠んだと伝えられています。天才・道真はその後、まず学問の世界で頭角を現し、当時の学者であれば最高位にあたる『文章博士(もんじょうはかせ)』になりました。さらに、政治の世界にも進出。当時の宇多天皇の信頼を勝ち取り、出世を重ねました。894年には遣唐使に任じられましたが、この時道真が天皇に対し有名な遣唐使廃止の進言を行ったことがきっかけになり、遣唐使は廃止されました。その後も様々な改革に取り組み、899年には右大臣に就任。藤原氏の中心人物であった左大臣の藤原時平と並ぶ地位にまで登りつめます。ところが、藤原氏は道真の昇進が面白くありません。自分たちの地位がおびやかされると感じた時平は、「道真が自分の孫を天皇の位につけようとしている」とでっち上げの情報を流します。これにより、道真は大臣を辞めさせられた上、京都から遠く離れた大宰府(現在の福岡県)の長官に任命されて京都を追い出されてしまいます。この地位は、当時、都から追放される貴族を『左遷』するための役職として設けられていたものでした。失意の道真は大宰府へ行き、そこで亡くなりました。 道真はなぜ神になったのか?しかし、話はここで終わりません。道真の死後まもなく、道真を追放して権力を握ったはずの藤原時平が病死。さらに天皇が政務を執る清涼殿に落雷があり多くの死傷者を出すなどの異変が相次ぎました。世間はこれを『道真のたたり』として恐れました。そこで、道真の霊をしずめるために京都に北野天満宮を建て、道真を『雷を落とす天の神』、つまり天神様としてまつるようになりました。こうして、道真は学問の神様、そして天神様としてまつられるようになったのです。今日、道真は北野天満宮や、亡くなるまでを過ごした大宰府に建てられた太宰府天満宮のほか、東京の湯島天神といった各地の神社で受験生の信仰を集めています。道真=天神様は日本の神様の中でもトップクラスの人気を誇りますが、ご利益があるかは別として、努力せずに神頼みばかりしていても合格はつかめません。道真のように、しっかり努力して勉強を続けてこそ道は開けるということを忘れないでください!